戒名については不思議なことがたくさんありますよね。
例えば戒名はどうやって決まるのか?とか、
文字数は決まっているのか?
あと値段が高い戒名や、安い戒名なんてのもありますよね。
そもそも戒名って亡くなったら全員付けなければならないものなの?
今回は戒名についてお話します。
戒名の居士と信士の違い
人が亡くなると、戒名をどうするか?という話になりますよね。
たいていはお坊さんにお願いしてつけていただく方が多いですが、
気になるのは「値段の差」。
一般的に戒名は漢字6文字でつけられのですが、
値段によって大きく3つのランクに分かれます。
一番安い戒名の最後につけられるのが
男性の場合は「信士(しんじ)」
女性の場合は「信女(しんにょ)」
となり、宗派や地域によって多少の違いはあるそうですが、
東京の相場では約20~50万円するそうです。
その次に値段が高い戒名の最後につけられるのが
男性の場合は「居士(こじ)」
女性の場合は「大姉(だいし)」
この場合の値段は約50~70万円するそうです。
つまり、信士と居士の違いは「値段」ということになります。
ちなみに最も高い戒名になると、「院」という漢字が使われるそうで、
「院」がつく戒名というのは天皇が退位後の名に「院」をつけたことが始まり。
嵯峨天皇は退位後に嵯峨院という建物に移り住み、その後「嵯峨院」と呼ばれるようになりました。
これをきっかけに、
後白河天皇 → 後白河院
後鳥羽天皇 → 後鳥羽院
昔の天皇は名前の後ろに「院」をつけて呼ばれるようになったんだとか。
この他、徳川家康の戒名には「安国院(あんこくいん)」、
夏目漱石の戒名には「文献院(ぶんけんいん)」など、
身分や社会的地位の高い人の戒名に「院」をつけるようになったのです。
ではこの「院」がつく戒名の値段は100万円以上するそうです。
じゃあ有名人やお金持ちの人の戒名にだけ「院」がつくのかというと
決してそうではありません。
お寺の掃除や修繕のためにお布施をしてくれるなど、
お寺への貢献度が高い人にも「院」が入った戒名をつけてくれるそうですよ。
一度つけてもらったこの戒名のランクはのちの法事にも影響してきます。
値段の高い戒名をつけると、法事などで支払うお布施の金額も違ってくることがあり、
信士・信女の場合だと約5万円
居士・大姉の場合だと約7万円
院居士・院大姉の場合だと約9万円程度になるそうです。
そもそも戒名は必要か?
戒名をつけてもらうときの値段や、法事にかかる値段の話をしましたが、
亡くなってからこんなにもお金がかかるなんてなんとも言えない気持ちになりますよね。
お布施というとどうしても「=お金」というイメージがありますが、
お布施にもいくつか種類があるそうです。
中には「身施(しんせ)」といって体で奉仕するお布施もあるのだとか。
例えば、法事などでお茶の配膳を手伝ったりということも
お寺に対する十分な貢献となるそうですよ。
ですが、そもそも戒名って亡くなったら必ず全員付けなければならないものなのでしょうか?
これに対する答えは、
仏教徒は戒名をつけなければいけません。
それはなぜかというと、戒名というのは仏様の弟子になった証としてつけられる名前なので、
仏教徒の場合には必ず戒名をつけなければならないそうです。
「じゃあ私仏教徒じゃないから戒名は必要ないってことね♪」
という方に注意していただきたいのですが、
お坊さんにお葬式をしていただいた際には、
普段仏教を信仰してこなかったとしても仏教徒になったとみなされるので、
この場合には戒名が必要になります。
戒名は必要ないの?
さきほど仏教徒は戒名が必要とお話ししました。
ということは、
仏教を信仰していなくて、お葬式にお坊さんを呼ばない限り、
戒名は必要ないということになります。
最近では「自然葬」と呼ばれるお葬式が流行になりつつあります。
祭壇には故人の趣味のものや好きだった食べ物をお供えしたり、
お経の代わりに故人の好きだった曲を流したりします。
その他、参列者全員で故人の思い出の映像などを見るなど、
故人やその家族が希望する自由度の高いお葬式をあげられるそうなので、
希望する場合には葬儀屋さんに相談してみることをおすすめします。
まとめ
戒名の居士と信士の違いはお寺に対する貢献度からくる値段の違い。
仏教徒やお坊さんにお葬式をしてもらう場合、戒名は必要。
それ以外は戒名は必要ない。
戒名に値段の差があるってことは、極楽の世界に行った後に差があるということ?
と疑問に思ったのですが、
お坊さんのお話では「そういった差は全くありません。」とのことでした。
ではなぜそんな差があるのかというと、
亡くなった方がこの世でお寺とどういう関係にあったか、
その人の貢献度に対してつけていただく「送り名」だからとのことでした。
お寺に貢献した人の順番がわかる「区別」としての差ということですね。
でなきゃ「高いお金さえ払えばみんな極楽浄土へ行ける」というおかしなことになりますよね。